ケーブルテレビ事業を地元の資本だけで設立して16年が経過しました。設立が平成4年7月23日で、アナログ放送が終了してデジタル放送に完全移行するのが3年後の平成23年(2011年)7月24日です。
多くの人にインターネットの便利さを知ってもらいたい。
私は、昭和38年4月に日立製作所本社に入社しました。まだ電卓もない時代でした。
事務用の電子計算機が使われ始めたのは昭和40年以降だったと記憶しています。その当時電子計算機は想像を超えた大きさで、予約してわずかな時間だけ利用することが許される貴重品でした。私の歴史は、コンピュータと共に歩んできたような気がします。
個人事業を含めた中小零細企業は419万事業所を数えます。20年前は532万事業所でした。最近は、毎年29万事業所が廃業・倒産に追い込まれ企業減少傾向が止まりません。
特に地方での減少が大きく商店街の活気が見られないのが残念でなりません。平成4年7月(1992年)に狭山ケーブルテレビの創立を決意したのは『地域経済の活性化』です。
大都市は地下鉄をはじめ公共交通機関が益々便利になり自動車不要の時代となりました。車がステータスであった時代は過去のものとなり若者は運転免許さえ欲しがりません。
ガソリン価格はマネーゲームも影響して高騰を続け、地球温暖化防止の掛け声にも押され自家用車離れは流行にさえなりつつあります。
「喰わず嫌い」を継続しているうちに一生が終わってしまうかも知れません。昭和28年にテレビ放送が始まって昭和30年後半にはほとんどの家庭でテレビが視られるようになりました。
日本のインターネットは、平成10年に利用者が1千万人を超え、昨年のインターネット白書では8,226万人までになっています。
桜が咲き、入学式で賑わい、ツバメが飛来して狭山茶の香りが漂う季節となりました。
狭山市駅西口の再開発工事も槌音高く本格化して、ステーションビルの店舗も閉鎖され新しい狭山市構築の息吹が感じられるこの頃です。
「自分の背中と東京を見ないで亡くなった人が沢山いたよ」明治生まれの父が話していました。狭山に電車が開通したのは川越鉄道が開通した明治28年(1895年)3月21日で、今から113年前でした。入間川馬車鉄道が開通したのは1901年5月10日で、狭山市役所のホームページから「インターネット版・昔の写真展」を見ると明治時代からの狭山市の成り立ちが懐かしく視る事ができます。
今年は雪の多い冬でした。ケーブルテレビにとって雪と雷は難敵です。電線に雪が積もると想像以上の負荷が掛かります。雷の高電圧は屋外に配線し電気を利用して増幅しケーブルを監視している施設に大きなダメージを与えます。
狭山市駅西口再開発の槌音が響き将来に夢が持てるようになりました。西武新宿線で最も開発の遅れていた駅は、狭山市駅と入曽駅でした。
工業団地と住宅公団の整備では優れた実績を挙げてきた狭山市も、やっとバランスのとれた中核都市になれそうです。情報化の面ではケーブルテレビが最高の世帯普及率を達成し、2011年7月のデジタル化完全移行も万全の体制を備えました。
CATV事業を大きく捉えると「地域貢献事業」に尽きると考えます。しかし、この事業はボランティア事業ではありません。究極のビジネスでもあります。
狭山市の人口約16万人、6万世帯、49平方キロの全ての情報化を支える重要な任務を負っている事業であるこの会社は、個人的色彩の濃いものであってはならない。しかし現実は、設備投資過大な事業であること、一時的には多額の運転資金を必要とすること等のリスクがある。