「喰わず嫌い」を継続しているうちに一生が終わってしまうかも知れません。昭和28年にテレビ放送が始まって昭和30年後半にはほとんどの家庭でテレビが視られるようになりました。
日本のインターネットは、平成10年に利用者が1千万人を超え、昨年のインターネット白書では8,226万人までになっています。
桜が咲き、入学式で賑わい、ツバメが飛来して狭山茶の香りが漂う季節となりました。
狭山市駅西口の再開発工事も槌音高く本格化して、ステーションビルの店舗も閉鎖され新しい狭山市構築の息吹が感じられるこの頃です。
「自分の背中と東京を見ないで亡くなった人が沢山いたよ」明治生まれの父が話していました。狭山に電車が開通したのは川越鉄道が開通した明治28年(1895年)3月21日で、今から113年前でした。入間川馬車鉄道が開通したのは1901年5月10日で、狭山市役所のホームページから「インターネット版・昔の写真展」を見ると明治時代からの狭山市の成り立ちが懐かしく視る事ができます。
今年は雪の多い冬でした。ケーブルテレビにとって雪と雷は難敵です。電線に雪が積もると想像以上の負荷が掛かります。雷の高電圧は屋外に配線し電気を利用して増幅しケーブルを監視している施設に大きなダメージを与えます。
狭山市駅西口再開発の槌音が響き将来に夢が持てるようになりました。西武新宿線で最も開発の遅れていた駅は、狭山市駅と入曽駅でした。
工業団地と住宅公団の整備では優れた実績を挙げてきた狭山市も、やっとバランスのとれた中核都市になれそうです。情報化の面ではケーブルテレビが最高の世帯普及率を達成し、2011年7月のデジタル化完全移行も万全の体制を備えました。
CATV事業を大きく捉えると「地域貢献事業」に尽きると考えます。しかし、この事業はボランティア事業ではありません。究極のビジネスでもあります。
狭山市の人口約16万人、6万世帯、49平方キロの全ての情報化を支える重要な任務を負っている事業であるこの会社は、個人的色彩の濃いものであってはならない。しかし現実は、設備投資過大な事業であること、一時的には多額の運転資金を必要とすること等のリスクがある。