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社長コラム

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同窓会(Vol.25 2002年4月号)

2002年4月1日

小学校の同窓会で久しぶりに逢う同級生は、何分もしないうちにお互いに子ども時代に戻って話しが弾み、料理そっちのけで想い出話しの輪があちこちにできてしまいます。
狭山市は昭和29年(1954年)7月1日に誕生しました。私は入間小学校4年生で、お祝いの行列に参加したことを良く覚えています。

入間川町、入間村、奥富村、柏原村、堀兼村、水富村の1町5ケ村が合併して人口約3万1千人の「狭山市」が誕生して、今や16万人を超える人口となりました。
合併当時の狭山市は、ほとんどが農村地帯でした。商店街は入間川町に集中して賑わいがあるほかは、各村には数軒の商店があるだけで、48年前の狭山市は現 在とは全く異なった景色と職業の「市」でありました。雑木林と畑や水田を転用して、工業団地、狭山台団地、つつじ野団地等が造成され、同時に本田技研を中 心とした工業地区として、狭山茶、入間牛蒡、野菜等の農業生産地区として、様々な職業と価値観と目的意識をもった住民で構成される混成住宅地へと変革して きました。姿は大きく変わっても、地域に流れる基本的考え方は昔どおりのような気がします。80%を超える住民は新しくなりましたが、土地の所有は土着の 住民が過半数を占めていることに原因がありそうです。
今、もっとも重要な観点は、インターネットとIT(情報技術)によるネットワーク社会に突入して、これまでの社会との大きな違いが「ボーダレス」になったことです。
ネットワーク社会では、個人がパソコンを通じて世界とつながることを意味しています。この流れを理解すると「国」「地方自治体」「会社」といった従来の単位を再構築しなければならなくなっています。
同窓会が昔のことを懐かしがるだけでなく、私たちが現実に生活する「今」と「将来」を語り合い、どうしたら社会のお役に立てるかをも議論したいですね。自分達の市を良くするも悪くするもそこに住まう住民の考え方だから。

カテゴリ:社長コラム
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