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社長コラム

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情報先進市「狭山市」を目指して(Vol.97 2008年4月号)

2008年4月1日

「自分の背中と東京を見ないで亡くなった人が沢山いたよ」明治生まれの父が話していました。狭山に電車が開通したのは川越鉄道が開通した明治28年(1895年)3月21日で、今から113年前でした。入間川馬車鉄道が開通したのは1901年5月10日で、狭山市役所のホームページから「インターネット版・昔の写真展」を見ると明治時代からの狭山市の成り立ちが懐かしく視る事ができます。

100年前の狭山市(当時は1町、5ヶ村)と現在では想像できないくらい変化しています。私は昭和19年8月生まれで、戦後の日本の成長が自分の人生その ものに感じています。2004年をピークにして日本の人口は毎年約80万人減少に転じました。現在の予測ではこれから100年で明治30年台の人口に戻っ てしまうのです。
これからの狭山市はインターネットの利用が不可欠です。若い人だけが、知識のある人だけが、興味のある人だけが利用すれば良い程度のことでは済まなくなる ことが確実です。できるだけ少ない費用と簡単な操作で生活の中にインターネットを利用せざるを得ない時代がすぐ目の前まで来ているのです。
狭山ケーブルテレビでは、市民全体の情報化の促進を目標に掲げて、全世帯接続を達成しつつあります。地域の発展は情報技術の高度利用が不可欠な時代です。
自分でアンテナを上げれば地上デジタル放送の受信は可能になるでしょう。しかし、アンテナは一方通行で自分からの発信ができません。ネット社会のケーブル は双方向で地域ぐるみの情報交換が可能になります。全世帯が地域発展のための情報化の経費を分担して素晴らしい情報先進市を構築しようではありませんか。 弊社では全力で地域貢献事業に取組みます。

カテゴリ:社長コラム
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